皆さん、こんにちは。
9月も中旬に差し掛かり、朝晩はすっかり涼しいと感じられるようになりました。
日中は、夏の蝉の声から秋の蝉の声に変わり、夜は秋の虫の声が聞こえています。
今年は去年に比べると秋が早く来ている気がします。
今日は自民党総裁選があり、内閣官房長官だった菅さんが当選されたようです。
また新たな内閣人事が行われるのでしょう。
今後、日本はどういう風になっていくのか?
国民としては、菅さんの技量をしっかりと見極めていきたいですね。
そして日本にも、新たな風が吹く事を祈りたいと思います☆
そんな日本の政治はさておき。
先日、私の前任者である落水洋介さんのブログを拝見し、ハッとした事があるので書きたいと思います。
落水さんのブログのタイトルに『障害は個性なのか?』と書かれてありました。
このブログを読まれた方もいらっしゃると思います。
落水さんの記事はこちら
「障害は個性なのか?」
https://ameblo.jp/1982100719821007/entry-12622751257.html
私はこのタイトルに、実は懐かしさも感じました。
というのも、『障害は個性なのか?特徴なのか?』という事を高校生の頃にとても考えさせられました。
まず、私の答えを書くとすれば、『どっちでもいいじゃない。』です。
投げやりではなく、いい意味で捉えていただきたいのですが、本当にどっちでもいいじゃん!と思います。
そこに拘る必要がない!!と思っています。
というのも、これから書く事はあくまでも私個人的な意見です。
私は生まれつきの障がいで車椅子なのですが、幼稚園から中学校は地域の学校へ通い、その後普通校と言われる高校へ進学、卒業後は専門学校へと進学しました。
この中で、今の私の基礎となったのは中学時代でした。
私は中学時代イジメもありましたが、それよりも良かった事がありました。
それは、友達がたくさんでき皆に支えられ、一緒に育ってきたからです。
一緒に勉強し、嬉しい事も楽しい事も、時には嫌な事も共に経験してきました。
皆は最初から私の事を『障害のある奥水さん』ではなく、『一個人の奥水さん』として接してくれました。
そしてその時に築いた関係は、今も変わることなく続いています。
要するに特別扱いなんてしないんです。
私が住む地域は、私が学校へ通う頃から障がいのある子どもを地域の学校へ受け入れてくれています。
同学年には、私以外に自閉症の子、難聴の子、中途で難聴になった子がいました。
また上学年にも下学年にも、障がいを持つ子がいました。
ですが、皆一緒に育ってきたからこそ、そこは障がいなんて関係なく関わって来ていたように思います。
お互いがその存在を認め合い、尊重して生活していました。
障がいのある人たちが、地域に住んでいる事は当然です。
人は誰しもが年を取り、障がい者と言われなくても、体力的に生きづらさを感じるようになる。
その時に、その方達にどう向き合い、寄り添うのか?だと思います。
『障がいは個性か?』というのは、ある意味その疑問を持っている方達の気持ち(心)がボーダーレスではない。ような気がします。
今まで障がいのある人達と関わった事がない人は、自分が障がいを持った時、悲観する人が多いのもまた事実です。
そういう事がないよう、お互いが歩み寄り、理解し合う事が第一歩。
そして、いつか本当に環境面、心の面でもボーダーレスな世界が訪れる事を願います。
今日のブログはいつもと違った内容でお送りしました。
個人的な意見を書いたので、気分を害した方がおられましたらお詫びいたします。
申し訳ありませんでした。
今日もお疲れ様でした。
読んで頂き、ありがとうございました!
担当 奥水